沖縄の夏衣

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中谷比佐子

沖縄の浴衣 コスモス通信2018年8月

芭蕉布のコート姿に、番傘。

初めて沖縄に渡ったのは沖縄がまだアメリカの領土下、日本中の染織を取材してルポを書いているときで、
「染織を知るには沖縄を取材しないと」
と琉球大学で教鞭をとっていた方に言われ
「そういうものなのか」
とすぐパスポートを申請し、初めての海外?旅行にでかけました。
知人はその琉球大学の先生のみ、首里に宿をとったものの、何から手を付けていいのか、博物館にこもって沖縄の染織資料を調べ上げ、染の紅型と織があることを知りました。季節が夏だったこともあって、植物繊維の取材から始めようと、喜如嘉村の芭蕉布から。見つけた「織歌」の資料に、村の婦人たちが芭蕉布をまとって歌い踊っている写真がとても楽しそうだったのです。

突然平さんのおたくへ

「ヤマトンチュー(大和人)の女が来た」との大歓迎。ふかし芋をごちそうになりながら、代々の芭蕉布を見せていただきました。琉球藍で染めたものには風格があり、それは式服として着たものだと知りました。
それよりも何よりも芭蕉布というのは、バナナと同じ種類、「実芭蕉と糸芭蕉」があることがその時わかり、驚きました。
おやつのふかし芋が終わるとそれぞれ女たちが持ち場に行って作業が始まります。ウーハギ(皮を剥ぐ)素人の私でも簡単に皮を剥ぐことができるのは皮が柔らかいからだが、そうなるようにするには二年間、根っこと葉の先を同じ太さにするという歳月がいるのです。
ウータキ(剥いだ葉柄を煮る)ウービキウーチンキ。ああ、やめましょう。こう書いてくると芭蕉布の生産過程で今回は終わってしまいますものね。
糸になって織っていくのですが、その当時は、作業する婦人も芭蕉布を着ている人が多かったのです。
皆さん対丈で着て、内地でいう三尺の帯をぐるぐる巻いて前で結んでいます。
「涼しいからね。ひんやりして風通しが良くて、汗をすぐ逃してくれる」
というのが婦人たちの言葉。みんな楽しそうに仕事をしていて、たった一人の客人のため芭蕉布の踊りも見せていただきました。
芭蕉布は沖縄の夏の生活に無くてはならないものなのです。
取り扱っている会社を紹介していただき早速手に入れた芭蕉布が、写真のコート。

比佐子さん
この布縫うのは大変だわ

その頃姑に着物の仕立てをしていただいていたので、持ち帰ってすぐ仕立てを頼んだところ「ヘラはきかない、チャコは滑る。しつけ糸で抑えて縫ってみるわね」
苦労して出来上がった芭蕉布の着物、嬉しくて着てすぐ外出。袖口はめくれる、上前はズルズル動く、胴回りは膨れるしかしひんやりと涼しく、風通しが良く汗はすぐ飛ばしてくれる。でも着こなしは難しい。
沖縄ではついたけというヒザ下ぐらいの丈で着ていてしかも帯が三尺。それは芭蕉布の特質を活かした着方だったのですね。それを内地の着物の着方で着るということが、芭蕉布の良さを消してしまっていたのです。
最近の芭蕉布はあの頃の芭蕉布より糸が洗練され、内地の着物の形にあてはまる織りになっています。そのかわり、沖縄の婦人たちが身につけることが少なくなっているのが、ちょっと寂しい。
幅の狭い織幅、肩ハギを入れて仕立て。

幅の狭い織幅、肩ハギを入れて仕立て。
沖縄復帰後、宮古島へ

友人のご主人が本土復帰でNHK沖縄の局長となり転勤。
「比佐子さん、便宜図れるから取材にいっしゃい。宿はうちで良ければ」
とありがたいお誘いで、早速沖縄へ。 その頃、沖縄で生産する上布を「薩摩上布」という言い方に理解出来ないでいたので、まずはその疑問を解くために宮古島へ行くことに。
お役人がまず私を案内したのは「ここから海を眺めてください、地球が丸いということがわかりますね。戦争の終わりあの水平線にいきなり真っ黒の軍艦がびっしり見えてきたのです。それを見て、ここから多くの人が身を投げました」
次に案内されたのが「人頭税」に使われた石碑。その高さは私の身長の肩辺り。
「江戸時代から、薩摩藩がこの石の高さより身長が伸びたら税金を払う義務を課したのです」
その後は女たちが朝晩ずっと上布を織っていた小屋ヘ。そこには「天保銭」がザルに入れてありました。
「これは?」
「織上がった布がこの穴を通るほどに細くなければ罰が与えられたのです。ですからみんな必死で上布を織ました」
「それが薩摩上布ですか?」
「そうです!」
宮古島の翳(かげ)ばかりを私に見せていた役人は私が
「それを薩摩上布という名で売られていたんですね」と言葉を発した途端、初めて笑顔を私に向けました。
この時代、幸せそうな若い娘がホイホイとこの島に現れるのを面白くないと思ったのでしょう。
一週間いたのですがその時からとてもとても好意的で、たった一軒のホテルに泊まった私を何くれと世話をしてくださいました。ヤモリやゴキブリがいて怖かったのです。
その時、決心しました。私の原稿では、薩摩上布を「宮古上布」と書こうと。原稿に必ず宮古上布と書くと必ず校閲が薩摩上布と赤ペンを入れるのですが、しつこく宮古上布と書き、その都度その理由を話しに校閲部に出向いたものです。
今は薩摩上布という方は少なくなりました。別物と思っている方もいらっしゃるかもしれません。宮古上布と書き換えたことで、少しは沖縄のご先祖に礼を尽くすことができたように思っています。
ほころびにあてたハギも美しい。

ほころびにあてたハギも美しい。
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